台東区立金曽木小学校

2024/04/25 12:56 更新

歴史

開校のころ

開校のころ1開校のころ2

開校(明治36年)当時のままの正面玄関。もちろん木造校舎です。
現在の金曽木公園(当時は無かった)付近で西向きです。
児童は、中央ではなく左右の小さい門から出入りしたそうです。
(右の写真は昭和8年3月卒業アルバムより)
番地は東京市下谷区下根岸町18,19,23,24番地でした。

明治39年の卒業記念撮影

明治39年の卒業記念撮影

明治39年3月の第3回卒業生の記念撮影です。

明治時代の運動会

明治時代の運動会

明治時代の運動会。職員か役人のバスケットボール風の競技でゴールの瞬間です。
ゴールは竹竿の先につけた竹カゴで、玉入れ風。ボールはバスケットボール大です。

昭和8年の体育?

昭和8年の体育?

昭和7年12月に、鉄筋校舎に改築のため上野凌雲院内の仮校舎に移転しました。
仮校庭での体育?です。(昭和8年3月の卒業アルバムより。現文化会館のあたり)

二代目校舎(コンクリート造)

二代目校舎(コンクリート造)

昭和9年完成の鉄筋校舎。最新設備を備えた校舎で、見学者が相次ぎました。
周囲が焼け野原となる中で、戦災も免れ、昭和59年まで使用されました。
(撮影は戦後。左は新校舎になって学校前通り側に移った児童正門)

戦前の授業風景

戦前の授業風景

昭和11年の教室風景です。左は音楽「仰げば尊し」、右は理科「呼吸作用」
音楽は女子組、理科は男子組の時間です。
本校は多くが3学級で伝統的に1組=男組。2組=女組。3組=男女組でした。

昭和33年東南アジア14カ国学校給食ゼミナール

   昭和33年東南アジア14カ国学校給食ゼミナール1   昭和33年東南アジア14カ国学校給食ゼミナール2

昭和32年度には都の実験学校として学校給食の研究発表会を開催しました。
それに先だって、全国学校給食研究集会の分科会場にもなりました。
昭和33年度には東南アジア14カ国の代表を招いて、学校給食ゼミナールを開催しました。写真はその時のようすです。懐かし?の脱脂粉乳と先割れスプーン(これも最近はなくなりました)が見られます。

三代目の現在の校舎と根岸の地

三代目の現在の校舎と根岸の地

平成5年の90周年時の校舎の空撮です。多くの民家とビルに囲まれています。
個別化・個性化学習対応のワークスペース付き学年ブロック構成の校舎です。

創立95周年記念行事

創立95周年記念行事

平成10年度は創立95周年でした。喜びの集いや式典をはじめ、多くの記念行事が行なわれました。

道徳教育研究発表会開催

道徳教育研究発表会開催

平成11年11月2日に区研究協力学校として道徳教育の研究発表会を開催しました。

道徳教育の実践研究で受賞

第17回道徳と特別活動の教育研究賞・学校(団体)の部
 最優秀賞・文部科学大臣奨励賞を受賞しました

平成13年1月20日に、学校の部の最優秀賞(1校)を受賞しました。
研究テーマ:「自分の考えをもち豊かに心を通わせる子の育成」

創立百周年をむかえました

平成15年11月1日に記念式典が行われたほか、喜びの集いや様々な記念行事が行われました。

創立120周年

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令和5年に記念式典・行事が行われました。