令和3年9月1日 2学期始業式さて、夏休み中にTOKYO2020 オリンピック・パラリンピックが開催されました。まだパラリンピックは競技中です。日本選手団がんばってほしいと思います。 オリンピック先立って、聖火リレーが行われました。残念ながら台東区は、トーチで炎を受け渡すトーチ形のセレモニーとなりましたが、何人か選ばれたランターの中に本校の卒業生がいました。嬉しいことです。また、本校に毎年来てくれていた水球男子日本代表の選手たちも大活躍でした。メダルには届きませんでしたが32年ぶりにオリンピックで一勝をあげることができました。校長先生は、たまたまオリンピック・パラリンピック開催にあたってのスカイツリーの周りを飛ぶブルーインパルスを見ることができました。少しでも希望を明日につなげていきたいと思います。 移動教室や社会科見学も延期になってしまいましたが、先生方は協力してみなさんにとってよい活動を考え、計画しています。一緒に身体に気をつけて2学期を乗り切っていきましょう。 令和3年 1学期終業式毎日暑い日々が続いています。いよいよ長い夏休み迎えます。まだまた新型コロナウイルスの感染は収まらないので、手洗い、うがい、健康に十分注意して過ごしてください。 さて、本来であれば7月17日(土)に世界文化遺産認定5周年記念式典が開催される予定でした。しかしながら、オンラインや後ほどYouTubeによる放映となりました。本校の筝クラブ皆さんも一生懸命練習した「日本のsakura」を演奏しました。音楽の岩崎先生もマリンバの腕前を披露しました。 学区域に世界遺産があるということ、これは素晴らしいことです。去年4年生が東京のもう一つの自然遺産小笠原諸島と台東区比べるまとめをしました。 台東区のよさをぜひ皆さんにもわかってほしいと思います。 この夏、遠出ができないかもしれませんが、区内をいろいろとめぐってみましょう。 令和3年7月12日 全校朝会オリンピックに出るポセイドンジャパンの選手が毎年、忍岡小学校に来てくれていました。ゴールキーパーの棚村選手の他、リオデジャネイロの時のキャプテンだった志水選手、今回東京オリンピックのキャプテンの大川選手、若手の稲葉選手、福島選手となんとレギュラーの選手5人がこの忍岡小学校に来てくれたんです。ぜひ応援してください! 棚村選手からオリンピック応援用のクリアファイルが届いたので紹介します。 令和3年7月5日 全校朝会パンダのについて今日も、話ます。パンダって何を食べるのでしょうか?竹は有名ですね。太い幹ではなく、細い小枝です。他にもリンゴやサツマイモなども食べるそうです。パンダは、だいだい5才から7才ぐらいで大人になると言われています。シャンシャンはもう大人に近いんですね。今、パンダの生まれたての赤ちゃんはピンク色です。1〜2週間で模様が出てくるそうです。生まれたばかりの赤ちゃんは100から150グラム、大人になると100から150キログラムになるというからすごいですね。 令和3年6月28日 全校朝会何かと暗いニュースの中、上野動物園のパンダの赤ちゃん誕生のニュースが飛び込んできました。しかも双子!!学校中が大喜びです。パンダの赤ちゃんお祝いのメッセージカードを書き、すぐに上野動物園に届けました。福田園長から御礼のお手紙も届きました。早く赤ちゃんに会いたいです! 令和3年6月21日 全校朝会昨年は、全く泳げなかったプールで水泳が始まります。今年は、学級ごとに距離を置いて入ります。二年ぶりの水泳です。少し肌寒かったですが、子供たちの笑顔は最高でした。 朝会では、体育主任の加藤先生からプールでの注意事項について話しがありました。 令和3年6月7日 全校朝会コロナ禍の中、工夫して鳥越祭りが行われました。本社の大きな山車を睦の人たちが氏子町会を一日練り歩きました。御神輿のかけ声はなく、少し寂しい気もしましたが、それでもお祭りを全く中止でなく来年につなげていこうという下町っ子の心意気を感じました。 令和3年5月31日全校朝会日差しが強くなり、夏を感じる季節となりました。 百人一首には季節を詠った歌が多いですが、秋が一番多く、夏は意外と少ないです。 四首あります。 今日は、よく耳にする「春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山」 を紹介します。詠んだのは、持統天皇です。645〜702年第41代天皇で女性の天皇でした。 「春が過ぎて、夏が来てしまったようです。昔から夏に白い衣をほすといわれている天の香具山に、真っ白な着物が干されています。」という意味の歌で、さわやかな夏の青空野下、緑の映える山に白い衣が干してある風景を詠っています。 全校朝会 5月17日(月)例年ですと、5月、6月は台東区中いろいろな所で祭り囃子と御神輿を担ぐ声が響き渡ります。昨年からの新型コロナウイルス感染予防のため、全てお祭りが中止になっていましたが、今年下谷神社のお祭りは、御神輿を山車に乗せて朝から1日かけて氏子町会を巡回しました。この時期に祭り囃子が聞こえるのは、本当にいいもんだなぁと思いました。睦の方たちが山車を引き、安全を考え、消防団の車が後をついて回っていました。 去年よりは、ほんの少しですが、明るい兆しが見えてきたような気がします。 台東区の祭りは、この下谷神社に始まり、三社、鳥越と続いていきます。残念ながら三社は、神輿の巡回はなくなってしまいましたが、浅草神社には三つの神輿が飾られていました。鳥越神社は山車だけ出すそうです。下町っ子の心意気、祭りでつなぐ下町の風景が少しずつ、戻ってきたような気がしています。 全校朝会 4月26日(月)台東区は、上野公園のパンダ橋から先は、昔、海でした。上野公園がある上野台地の辺りと池之端の茅町の辺りは、人が住み生活していましたが、他の土地は、海だったんです。 パンダ橋から台東区役所や御徒町、浅草の方を見るとその土地の高低がよくわかります。 上野公園中には、この前お話しましたが摺鉢山古墳といって、大昔人のお墓の跡があります。茅町、今の池之端一丁目のマンション工事の時に、大昔の土器といって、当時の人々が使った、鍋や壺が出てきました。 忍岡小学校前の不忍通りも江戸時代までは、川でした。三本の橋がかかっていて、一つは、寛永寺に向かう将軍様専用の橋、もう一つは僧侶の橋、そして庶民が渡れる橋と分かれていたそうです。 台東区の歴史を調べてみる時に地形に着目して調べてみるのも面白いですね。 令和3年4月19日(月)全校朝会いつも台東区には、たくさんの史跡がありますという話をしていますね。コロナ禍の中で県をまたいでの移動や遠くへ出かけたりすることができないですが、そんな時は、ぜひ身近な区内を歩いてまわってみましょう。 台東区では、9月に「歴史・文化検定」を行います。5,6年生が参加してくれます。ぜひ、100点満点目指してがんばってください。 上野だけでも見る所がいろいろあります。不忍池、旧岩崎邸庭園、横山大観記念館、東照宮、寛永寺、摺鉢山古墳、世界文化遺産である西洋美術館など、文化や歴史が学べますね。台東区で一番最初のお祭は、区役所の前の下谷神社です。今年は、まだ御神輿を担ぐことはできませんが、台車に御神輿を乗せて氏子町内を回るようです。工夫していろいろ試みているのですね。 令和3年4月6日(火)始業式さて、昨年の7月TOKYO2020が延期になった時に水泳の池江璃花子選手の闘病とオリンピックへの意気込みの映像を皆さんに紹介しました。その池江選手ですが、見事に病気を完治して東京オリンピックの資格を得ることができたことがニュースになりました。すごいことだと思います。しかし、場合によては、努力をしても必ず結果に結びつくともいえません。今、大河ドラマの主人公である渋沢栄一は、「どんなに勉強し、勤勉であても、上手くいかないこともある。これは機がまだ熟していないからであるから、ますます自らを鼓舞しえ耐えなければならない。」と言っています。私も自分なりの目標を立て日々取り組んでいますが、結果が出ないからと言ってあきらめることなく、努力を続けていきたいと思います。みなさんもぜひ、充実した一年を過ごしてください。 令和3年3月25日(木)修了式休校に始まり、分散登校、登校が始まってもマスクをしての日常生活、給食は前を向いての黙食、朝会はOn-lineでという一年間でした。本当に皆さんよくがんばりました。そのような状況の中でも精一杯がんばった皆さん、すばらしいと思います。本日一年間がんばった修了証を渡しますので、おうちの人としっかりみて4月からの学校生活に生かしてください。 昨日の卒業式では、コロナ禍に医療従事者への義援金を集めたイギリスの退役軍人キャプテン・トムの話をしました。百才までの誕生日に25mある家の庭を歩行器を使って百往復するからといって世界中に寄付を呼びかけました。なんと当初は千ポンド(14万円)の予定が百万ポンド(47億円)も集まったのです。彼はエリザベス女王よりナイトの称号をもらいましたが残念ながら先月に亡くなりました。彼の偉業を称え、拍手をする人々の姿がテレビで放映されました。彼は「明日はきっといい日になるよ」と人々に呼びかけました。長く続くコロナウイルスとの闘いの中でくじけそうになった気持ちを慰めてくれました。この百才になるキャプテン・トムから世界中の人があきらめてはいけないことを学びました。 まだまだこれから先、不安なことも多いかと思われます。でも私たちは決して希望を失わずに頑張って生きていきたいと思います。 令和3年3月15日(月)全校朝会3月11日に東日本大震災があったのでこの頃になると地震の話が多くなりますが、前日の3月10日はこの台東区を含む下町一帯が戦争の時に空襲にあった東京大空襲の日でもあります。夜中にB29から受けた爆弾により、10万人以上もの人が命を落としたと言われています。この忍岡小学校も空襲にあって校舎が焼け、命を落とした先生がいらっしゃいます。3月10日には、戦争について考えようということで、給食に「すいとん」のメニューが用意されました。お米がなく、食べ物にも困った時代でした。 今、日本は平和な日々を過ごしていますが、そのことに感謝し、二度と東京大空襲が起きるような歴史を繰り返すことがないように願っていきたいと思います。 |
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