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令和3年3月1日全校朝会

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「感動した6年生を送る会」
コロナ禍のため、対面での活動ができませんでした。しかしながらオンラインを活用してライブ中継のような6年生を送る会が行われました。どの学年も工夫を凝らしていて驚きました。6年生から5年生に校旗の引き継ぎが行われました。6年生の剣の舞も上手に演奏できました。できないのではなく、やれることに挑戦する忍岡小学校の姿を見せてもらいました。6年生、卒業おめでとう!!

令和3年2月22日全校朝会

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「百人一首を覚えよう」
春の季節と関係している有名な百人一首を紹介します。「花の色は移りにけりないたずらに わが身世にふる ながめせしまに」小野小町の詠んだ歌です。桜の花はむなしく色あせてしまった。春の長雨が降っていた間に。私の容姿もすっかり衰えてしまった。生きていることのもの思いをしている間に という意味の歌です。桜の花がきれいに咲いている時期には限りがあります。人も年月の中で年をとっていきます。美しさのはかなさをしみじみと詠った歌です。限りある時期に咲く花だからこそ美しいということも言えるかもしれません。小野小町は平安時代の有名な女流歌人です。大変美しい人だったと言われています。

令和3年2月15日全校朝会

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「東日本大震災を忘れない〜被災地 震災遺構から学ぶ〜」
先日、夜の11時頃に大きな地震がありました。結構長かったので驚いた人も多いのではないでしょうか。この地震が10年前の東日本大震災の影響であるというのですから、驚きました。まだ続いているのかと。
今年で東日本大震災から10年が経ちます。校長先生は、震災の年から毎年被災地を訪れています。困難を乗り越え、随分復興はしてきました。しかし、まだ海岸沿いは工事中の所が多いです。お亡くなりになった方々のご冥福をお祈りしながら、いつ東京に大きな地震が来るかわかならい、備えておかなくてはいけないという気持ちをもちます。今、被災地に行くと「東日本大震災を忘れない」ということで震災遺構として、被災した建物や駅、学校などが整備されて残されています。また、土地も高く整備され、次に大きな津波が来た時の避難場所となる所が設けられています。
日本は、地震が多い国です。いざという時に慌てないように日頃から避難訓練などもしっかりやっていきましょう。

令和3年2月8日 全校朝会

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「百人一首を覚えよう〜春の歌」
 今日は、「人はいさ心もしらずふるさとは花ぞ昔の香ににほいける」紀貫之の歌を紹介します。「あなたのお気持ちは、さあどうかわかりませんが、この古都奈良の地では、梅の花が昔と変わることなく香り、美しく咲いて迎えてくれます」という意味の歌です。この歌は、紀貫之が奈良の長谷寺にお参りした時に詠んだ歌だそうです。紀貫之は、「土佐日記」を書いたことでも有名です。現在の高知県にあたる土佐国に紀貫之が赴任した時、書いたものです。日本で初めて仮名で書かれた重要な作品です。
学校の梅の花もきれいに咲いています。百人一首を覚えて、日本の季節を感じましょう。


令和3年2月1日全校朝会

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【葛飾北斎について】
1月26日の新聞に江戸時代を代表する浮世絵師・葛飾北斎の錦絵「桜に鷹」の制作に使われたとみられるオリジナルの版木が見つかったという記事が掲載されていました。1834年頃の作品と言われているものの版木が現存に近い状態で見つかったのはすごいことだと思いました。
葛飾北斎は富獄三十六景という富士山を扱った版画で有名ですね。外国の人がよく日本のお土産にする絵柄の一つです。
北斎は、何度も引っ越しをしました。墨田区両国に北斎美術館があります。行ってみると北斎の生い立ちや沢山の作品が展示されています。その北斎、最後は台東区に住んでいたということで、台東区にお墓があります。
台東区は、このように有名な方のお墓もあるんですね。 

令和3年1月25日全校朝会

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【百人一首を覚えよう】
忍岡小学校では、毎年、「百人一首を覚えよう」と全校の児童ががんばって暗唱をしています。名人も沢山出ています。今年は、実際に百人一首をやることはできませんが、百人一首の世界は、続けて学んでいきたいと思います。
百人一首の中には、季節を詠んだ歌が多くあります。冬の今、今日は、「田子の浦に 打出でてみれば 白砂の ふじの高値に 雪は降りつつ」という山部赤人の歌を紹介します。冬の海辺から見える雪が積もった富士山のきれいな様子は今も昔も変わることがありません。現在でも田子の浦からは、富士山がよく見えます。何百年経っても変わらない自然の美しさや日本のよさをこの歌から感じてください。

令和3年1月18日全校朝会

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【お正月の行事】
12月に弁論大会がありましたが、そこで最優秀賞と優秀賞を受賞したお二人に上野ライオンズクラブからのトロフィーを授与します。
さて、皆さんは1月7日の日に七草粥を食べましたか?七種類の若菜を入れた汁物を食べて、無病息災を願うものです。奈良時代に日本に伝わり、年のはじめに若菜を摘んで生命力をいただく「若菜摘み」という風習とともに広まりました。「せり、なずな、ごきょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ」これが春の七草です。
1月11日は、鏡開きでした。鏡開きとはお供えの鏡餅を割って食べる日です。今では、鏡餅もパックのものが多くなりましたが、昔は、丸いお餅を二段飾っている家が沢山ありました。鏡開きとはお正月に年神様が滞在していた依り代(居場所)であるお餅を食べることで、霊力を分けてもらい1年の幸運を願う行事です。
1月15日は小正月(旧暦の正月)で、この日は小豆粥を食べます。小豆のように赤い色の食べ物は邪気を追い払うという中国の風習に由来しているそうです。
日本には昔から1年がしあわせでありますようにと願い、このような習慣があるのですね。今年1年がよい年になりますように、心から願います。

【音楽】コロナ禍でもがんばっています!

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歌ってはいけない、大きな声を出してはいけない、リコーダーや鍵盤ハーモニカの演奏ができない、そのような中でも本校の音楽の授業では、工夫を凝らして打楽器や木琴・鉄琴を活用して演奏をしています。
2年生の授業です。
授業の始めに事前に提出しておいたみんなのお気に入りの曲をくじで選んで、その曲をCDで聞きます。
次に「山のポルカ」を木琴、鉄琴、シンセサイザー等ありったけの音楽室の楽器(吹かなくてよいもの)を使って演奏します。
その後、リズム遊びをし、タンバリンやカスタネット、ボンゴ、コンガを使って2拍子を楽しみました。

令和3年1月8日三学期始業式

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密を避けるため、オンラインによる始業式を行います。「みんさん、明けましておめでとうございます」
今月になり、急な感染者数増加、緊急事態宣言の発令となりました。より一層、わたしたちは、日々の生活の中で密を避け、手洗い、うがいの徹底をしていきましょう。
今年は、「丑年」です。「丑」という字は中国で生まれた漢字で、手で何かを掴もうとする様子を表し「からむ」という意味があり、芽が種子の中で伸びることができない状態を表しています。皆さんもよく知っている牛は、古くから農作業や物を運ぶときの労働力として人間の生活に役だってきました。まじめによく働く姿から「誠実さ」を象徴するとも言われています。種子の中で芽が発芽する準備のためにエネルギーを蓄え、一歩一歩努力していく時期であると思います。
コロナ禍でまだまだ大変な状況です。でも希望を失わず、できることを進めていきましょう。みなさんにとって今年がよい一年になるよう願っています。


忍岡小学校創立145周年式典アトラクション

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5,6年生が式典には在校生代表として参加しました。
筝クラブによる「さんさんさくら」の演奏、Sunnyによる「星に願いを」「旧校歌」の斉唱、5,6年生による呼びかけ、合唱「地球星歌」が披露されました。コロナ禍で頑張っている子どもたち、の様子が映像で映し出され、素晴らしい歌声とともに145周年への想いをみんなで共有いしました。この伝統をこれからも持ち続けていきたいです。

忍岡小学校創立145周年おめでとう

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令和2年12月4日(金)に忍岡小学校創立145周年式典が体育館で行われました。同窓会や地域の方々、歴代校長先生がお見えになりました。
校長の挨拶、保坂三蔵同窓会長の挨拶、油木鉄兵PTA会長の挨拶がありました。忍岡小学校は幾度となく存続の危機がありました。震災、戦争、少子化を乗り越えて今があります。それぞれの思いをお話いただきました。

令和2年12月25日(金)終業式

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「歩をとめず前向きに!」
 今年は、コロナに始まりコロナに終わる1年でした。こんなこおが起こると誰が予測していたでしょうか。1年生は、入学式も6月でした。移動教室や林間学校がなくなり、日帰り遠足になりました。給食の食べ方、休み時間の遊び方、様々なことが制限されている中、皆さん、本当によくがんばりました。今日ここに終業式ができることいろいろな人に感謝の気持ちでいっぱいです。先日、医療従事者の方々に応援メッセージを書きました。
皆さんを家庭で支えてくれているお父さん、お母さん、勉強だけでなく換気や消毒もいつも気をつけている先生方、いろいろな人に感謝の気持ちおw持ってください。まだどうなるかわからないコロナウイルスの感染状況ですが、明けぬ夜はありません。希望をもって歩をとめることなく形を代えて進んでいきましょう。1月に元気な皆さんの姿に会えますこと楽しみにしております。

令和2年12月21日(月)全校朝会

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「今年の漢字」
 今日から全校朝会は、新しいタブレットと大型テレビで行います。
今年の漢字は「密」です。京都の清水寺に今、飾られています。コロナ禍、密を避けて
毎日、みなさん頑張っていますね。
今年の漢字は、毎年発表されます。去年は、令和という年号が新しくなったので「令」でした。その前の年は、北陸の豪雪、大阪北部地震や台風21号の被害があったので「災」という漢字でした。
明るい漢字が言われる1年に来年はなるとよいですね。

令和2年12月14日(月)校長講話

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【弁論大会】
12月12日(土)上野の東天紅で弁論大会が開催されました。忍岡中学校、御徒町台東中学校、黒門小学校、忍岡小学校の4校で行われました。中学生になると手振りや動作もつき、相手に伝えたいという思いを強く感じることができました。

令和2年11月30日、12月7日(月)全校朝会

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【上野ライオンズクラブ 弁論大会リハーサル】
12月12日に行われる弁論大会のリハーサルを5年児童2名、6年児童3名が行いました。テーマは、「当たり前を大切に」「難民に関心をもとう」「大好きなお祀り」「本当にそう?」「今、ごみ問題を考える」です。どのスピーチもとても上手に自分の主張をすることができました。

令和2年11月16日(月)離任式

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 当初、1学期に予定していた離任式でしたがなかなか実施できませんでした。今回もテレビ放送で行い、その後、異動されたお二人の先生方は、各教室を周り挨拶をしました。
松井副校長先生は、3年間忍岡小学校に勤務され同じ区内の台東区立田原小学校へ異動になりました。大下先生は、忍岡小学校に7年間勤務され江戸川区立本一色小学校へ異動になりました。5,6年生から挨拶と花束の贈呈がありました。お二人とも、お元気な様子を見せてくれ、とても嬉しかったです。

令和2年11月2日「多摩動物公園へ行こう!」

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皆さんは、東京都に上野動物園の他に動物園があるのを知っていますか?
東京の西の方に多摩動物公園があります。今度、4年生が日帰り遠足で出かけますが、その前に先生たちでどのような所が見学に行きました。
多摩動物公園は1958年にできて、上野動物園の4倍の広さがあります。
上野動物園というとパンダがすぐに思い浮かびますが、多摩動物公園にはコアラがいます。
他にもキリンが何頭もいて、檻の中の動物を観察するというよりは、自然の中で生きている動物たちに出会えるといった感じの場所で、ともて感動しました。
昆虫館には、1000匹以上のチョウチョが温室の植物の中に放たれていて、すぐ目の前で見ることができます。こんなにたくさんのチョウチョを見たのは初めてです。
新宿から京王線で特急に乗れば40分ぐらいですのでぜひ、みなさんも出かけてみてください。

令和2年10月26日「きまりをまもろう!」

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忍岡小学校には、「しのぶっ子の一日」という学校のきまりをまとめた冊子があります。
標準服などの服装についてや登下校について、持ち物について書かれています。忍岡小学校の帽子をかぶり、歩いていれば、「あっ忍岡小学校の子供だ」とわかります。電車やバスを使って登校していきているお友達もいます。安全に気をつけて、忍岡小学校の児童としてきちんとした態度で登下校をしてほしいと思います。忍岡小学校の子供は、あいさつが上手だねぇと褒められることもあります。地域の方々もみなさんの様子を見ています。忍岡小学校の子供としての誇りをもって生活してください。

令和2年10月19日「ニュージーランドラグビー交流から1年」

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昨年の10月、日本中がラグビーワールドカップに沸いていました。
ニュージーランドの市民ラグビーチームのメンバーが日本に来日し、この忍岡小学校へも来てくれました。体育館でハカを見せてくれたり、リフトやパスなどラグビーの技を見せてくれました。その後、クラスに入って交流し、一緒に給食を食べて交流を深めました。機会があったらニュージーランドへ行ってみたいと思った皆さんも多くいたでしょう。
1年後、世界中がコロナウイルスの恐怖に覆われています。ニュージーランドは、日本と違い人口が少ないので感染者ゼロにもなりました。しかし、また再度感染者が出ると、ロックダウンの規準がいろいろあり、制約された生活を送ることになります。今、まだ世界の旅行は自由にできません。
メンバーの一人から、なんと時が経つのは早いのか、まるで飛んでいるかのようだというメールがきました。あっという間の一年でしたが、世界はガラッと変わりました。
しかし、人類の歴史は、様々な感染症に打ち勝ってきました。来年、また笑顔で世界からの人々がこの忍岡小を訪れるようになることを願ってやみません。

令和2年10月12日 6年生による地域調べ学習の報告2

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◆今週も先週に引き続いて6年生の調べ学習のまとめを聞いてください。

【上野戦争について】
 自然も豊かで文化的施設もあり、とても素敵な上野公園ですが、今から百四十年前には、この地が焼野原になる上野戦争がありました。
 上野戦争は、慶応四年五月十五日(西暦一八六八年七月四日)に起きた戊辰戦争の闘いの一つです。江戸、上野において彰義隊ら旧幕府軍と薩摩藩、長州藩を中心とする新政府軍の間で行われた戦いです。
 彰義隊は、幕末に徳川慶喜の警護などを目的として渋沢成一(せいいち)や天野八郎によって形成された部隊です。
この彰義隊は、江戸無血開城に反対する幕臣らで結成されました。彰義隊は大義をあきらかにするという意味で命名されました。彰義隊は、寛永寺に立てこもりましたが、大村益次郎率いる新政府軍によって攻撃されました。佐賀藩のアームストロング砲が使われました。イギリス人が開発した大砲です。アームストロング砲は本郷台地、今の東大あたりから上野の清水(きよみず)観音堂のあたりを目指して発砲されました。その砲弾は、今も清水観音堂に残っています。砲弾は、丁度、忍岡小学校の上あたりを超えて飛んでいったのではないかと思います。このアームストロング砲という新型の武器でわずか半日でこの戦いは終わりました。西郷さんの像の近くに彰義隊の墓が建てられています。私は、この上野でこのような戦争があったことに驚きました。このような歴史を得て、今の上野公園があります。
 
【上野の歴史について】
 上野の明治時代からのおおまかな歴史について話します。
 年代別に並べると、一八八二年、東京国立博物館と上野動物園ができました。忍岡小学校ができたのは、その前の一八七五年で、今年一四五周年を迎えます。一八八七年に西郷隆盛像ができます。この像は、西郷さんの奥さんが「こんなのは私の夫ではない」と言われたことでも有名です。一八九〇年に上野で大正博覧会が開催されました。不忍池にウオーターシュートやエスカレータが設置され、ものづくり文化の最先端でした。一九〇六年には、旧帝国図書館(現在の子ども国際図書館)が建てられました。一九二三年の九月一日に関東大震災が起こりました。家族と反れば慣れになった人は、西郷さんの銅像に迷子札をはり、家族の安否を探しました。ボードワン博士の像は、一九七三年にできました。しかし、後にボードワン博士の弟の顔だとわかり、二〇〇六年に新しく作り直されました。一九七二年には、中国との友好の証としてパンダが上野動物園にやってきました。みんなパンダを一目見ようと公開日初日から長い行列を作りました。上野の簡単な歴史をお話しました。まだまだ調べきれていないけれども上野はとても興味深い地であると思いました。これからもっと調べていきたいです。
 これで私達、忍岡小学校の発表を終わります。聞いてくださりありがとうございました。



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