令和2年10月12日 6年生による地域調べ学習の報告2
- 公開日
- 2020/10/25
- 更新日
- 2020/10/25
校長講話
◆今週も先週に引き続いて6年生の調べ学習のまとめを聞いてください。
【上野戦争について】
自然も豊かで文化的施設もあり、とても素敵な上野公園ですが、今から百四十年前には、この地が焼野原になる上野戦争がありました。
上野戦争は、慶応四年五月十五日(西暦一八六八年七月四日)に起きた戊辰戦争の闘いの一つです。江戸、上野において彰義隊ら旧幕府軍と薩摩藩、長州藩を中心とする新政府軍の間で行われた戦いです。
彰義隊は、幕末に徳川慶喜の警護などを目的として渋沢成一(せいいち)や天野八郎によって形成された部隊です。
この彰義隊は、江戸無血開城に反対する幕臣らで結成されました。彰義隊は大義をあきらかにするという意味で命名されました。彰義隊は、寛永寺に立てこもりましたが、大村益次郎率いる新政府軍によって攻撃されました。佐賀藩のアームストロング砲が使われました。イギリス人が開発した大砲です。アームストロング砲は本郷台地、今の東大あたりから上野の清水(きよみず)観音堂のあたりを目指して発砲されました。その砲弾は、今も清水観音堂に残っています。砲弾は、丁度、忍岡小学校の上あたりを超えて飛んでいったのではないかと思います。このアームストロング砲という新型の武器でわずか半日でこの戦いは終わりました。西郷さんの像の近くに彰義隊の墓が建てられています。私は、この上野でこのような戦争があったことに驚きました。このような歴史を得て、今の上野公園があります。
【上野の歴史について】
上野の明治時代からのおおまかな歴史について話します。
年代別に並べると、一八八二年、東京国立博物館と上野動物園ができました。忍岡小学校ができたのは、その前の一八七五年で、今年一四五周年を迎えます。一八八七年に西郷隆盛像ができます。この像は、西郷さんの奥さんが「こんなのは私の夫ではない」と言われたことでも有名です。一八九〇年に上野で大正博覧会が開催されました。不忍池にウオーターシュートやエスカレータが設置され、ものづくり文化の最先端でした。一九〇六年には、旧帝国図書館(現在の子ども国際図書館)が建てられました。一九二三年の九月一日に関東大震災が起こりました。家族と反れば慣れになった人は、西郷さんの銅像に迷子札をはり、家族の安否を探しました。ボードワン博士の像は、一九七三年にできました。しかし、後にボードワン博士の弟の顔だとわかり、二〇〇六年に新しく作り直されました。一九七二年には、中国との友好の証としてパンダが上野動物園にやってきました。みんなパンダを一目見ようと公開日初日から長い行列を作りました。上野の簡単な歴史をお話しました。まだまだ調べきれていないけれども上野はとても興味深い地であると思いました。これからもっと調べていきたいです。
これで私達、忍岡小学校の発表を終わります。聞いてくださりありがとうございました。