松葉小学校

2024/05/27 21:02 更新

学校ができたころ

明治維新新政府により近代国家の楚が築かれ、日清・日露戦争に大勝利し東洋の小国日本が、世界の強国と肩を並べたころ 、明治37年6月に私たちの学校は今の松葉公園のあるところにでき、10月に開校のお祝いをしたそうです。

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↓創立のころの校門


↓大正9〜10年ごろの学校の見取り図

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上の写真は学校誕生当時の校門とそのころの校舎です。右の写真は卒業した人が記憶をたどって書いた校舎の見取り図です。


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↑明治末年ころの菊屋橋

当時の子は、下駄をはき、草履を持っていってはきかえたそうです。服装は和服で袴、ノートは石板に石ひつを使って書いたということです。
学校ができる年の月には、上野、雷門間は、鉄道馬車から路面電車になったということです。馬車の馬が、軍馬として使われるようになったため、電車の開通が早まったのだそうです。
また、その頃今の合羽橋道具街は新堀川が流れていたということです。

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←鉄道馬車



関東大震災のあったころ

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↑路面電車



聞いたことのある、関東大震災前後のころのまちのようすを図書館で調べることにしました。
私たちのまちは震災前、浅草通りと新堀川通り(今の合羽橋道具街通り)に路面電車が通っていました。今から75年ほど前のことです。その頃路面電車に乗ると、東本願寺の瓦屋根が大きくそびえて見えたと「東京唱歌」にも歌われています。

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↑停留所






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↑テントの校舎で

ところが、大正12年9月1日、関東地方は大きな地震に襲われ、大火災にも見舞われまちは消えてしまいました。隅田川は死人であふれたということです。
 わたしたちの学校も、もちろん焼け落ちてしまったため、テントを張ったり、バラックの校舎を建てたりして勉強したということでした。


震災後、まちは大きく変わり、わたしたちの学校も昭和4年、鉄筋の校舎(今の前の校舎)になったということです。

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↑完成した校舎


戦争があったころ

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↑合羽橋道具街の通り





震災から20年近くたち、まちがたちなおった頃、日本は外国と戦争をしました。昭和16年のことです。わたしたちは、戦争の様子を図書館で、映画を見たり、本で調べたりしました。まちのお年寄りにも聞いてみました。
 昭和19年ごろになると、東京がアメリカの飛行機に爆撃されるようになったため、子供たちは、安全なところへ疎開してくらすようになりました。
 昭和20年3月の9日から10日にかけての空襲で、東京の下町は、焼け野原になってしまったということです。

松葉小学校のまわりも、全部焼けてしまったそうですが、学校は、焼けずに残ったそうです。
(おじいさんの話)  疎開先では、私は6年生でしたから、班長で下級生の面倒をみました。疎開から2,3日して、家がこいしくなって上野まで逃げ帰った女の子もいました。いつも食べ物のことばかり考えていました。障子の張替え作業の時、のりの代わりにご飯粒をもらうのですが、5,6粒食べてしまったこともあります。家からお米を入れたお手玉を送ってもらい、こっそり炒って食べた子もいました。
昭和20年3月の9日から10日にかけての空襲で、東京の下町は、焼け野原になってしまったという事です。松葉小学校の回りも、全部焼けてしまったそうですが、学校は焼けずに残ったそうです。

       ↓疎開先(秋保村)

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↑疎開先での食事風景

平成の世をむかえるまで

太平洋戦争が終わってから、わたしたちのまちも日本の産業や経済の発展につれて大きく変わってきました。昭和30年から40年頃までは、区内の人口も今の2倍にもなりました。わたしたちの学校は千人を越すほどでした。
中学校が足りないということで廃校問題もおきましたが、地元の松葉小学校を愛するたくさんの人たちが、ハンガーストライキ等の反対をしたり、当事、小学校5年生の蛯名大介(現、蛯名医院院長)君が吉田茂総理大臣に私達の小学校を廃校にしない様に手紙を書き、その事が新聞で取り上げられ、吉田茂総理大臣と地元出身の文部大臣、安藤正純先生(右写真)と話し合い、廃校にはなりませんでした。
 その後、区内の人口が減り、まちの再開発が始まると同時にわたしたの学校もオープンスペースのある今の学校に変わりました。

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↑安藤正純先生胸像

これからのまちや区はどうなっていくのかな

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わたしたちの平成の時代になって、区内は若い人や小中学生が減ってきています。そんな中で区内の再開発が進んできています。
 区内を東西に通る春日通りには新しい地下鉄が出来上がり、区の東の方には常磐新線も通るということです。

街つくりの計画

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